toddler’s diary

以前は研究にあまり関係ない雑談・2023年4月から本を通じた自分の振り返りやってます

K.イェンゼン,N.ヴィルト「PASCAL」培風館 1981

どんなものにも寿命があり,例えば研究者であれば自分の研究ができるだけ長生きするよう願っていると思います.プログラミング言語にも栄枯盛衰があり,PASCAL という言語は今では知っている人も少ないのではないかと思います.

 

私が学生の頃は PASCAL は教育用言語としてメジャーだっただけではなく Turbo PASCAL という PC 用のソフトウェアが非常に評判が高く世の中に流通していました.私は Turbo PASCAL は持っていなかったので PASCAL を自分の手で書くことはありませんでしたが,時流にのらねばと開発者自らが書いたこの本を買った記憶があります.

 

有名なところでは TeXソースコードPASCAL をベースとした WEB という言語で書かれています.ただし,今では web2c という処理系で C 言語に変換されてコンパイルされてしまいますし,もう TeX は枯れたソフトで PASCAL 部分に手を入れることはほとんどないのではないかと思います.

 

最初に書いたように自分の研究が長生きするようにという気持ちと同じように,科学技術の進歩というのは既存の研究の上書きによって成り立つものなので,上書きされてしまうこと自体に抵抗感はないと思います.すぐ上書きされてしまうような研究はほかならぬ自分自身なので,研究というのは他人との競争ではなく自分自身と向き合うことだということはよく言われることだと思います.

 

さて,この前は自分が何かトラブルを起こしても何もできずモヤモヤするという話を書きましたが,逆にどうしようもないことでも気になって手につかないと思うことがよくあります.例えば朝家の鍵をかけて出かけたかどうかは出かけてしまえばどうしようもないことですが,夜家に帰って確認するまでずっと気になってほかのことが全く手につかなくなるというような経験(家の鍵に限らず)をこの歳になってもよくします.そんなことにいちいち気を取られていたら研究や仕事に支障が出てしまうわけですが,まあこんな自分でもなんとかこの歳までやってこられたのは,この職業の特殊性なのかもしれません.