toddler’s diary

以前は研究にあまり関係ない雑談・2023年4月から本を通じた自分の振り返りやってます

就職対策研究会(編)「’90 I種国家公務員」高橋書店 1989

私が就職したころはまだバブル崩壊直前で完全な売り手市場でした。世の中全体が浮かれていて、理系の学部でも金融やコンサルなんかに就職するのがおしゃれでしたし、理系企業でも民間ならばたくさん給料がもらえるという感じでした。学部時代は、計数の先輩方が就職説明会に来て(修士進学が決まっていて就職しないにもかかわらず)お寿司をごちそうしてもらったこともありました。

 

修士を卒業する段になって、一応博士は受けたものの計数は博士の合格率が極めて低いこともあり、就職することはほぼ確実でした。その頃には研究は続けたいという気持ちになっていたので、企業の研究所に行くか電総研のような国立研究機関に行くかということで、NECの研究所には山西さん、電総研は麻生さんがおり、ほぼその二択でした。ただし、電総研に修士卒で入るためには当時は国家公務員試験を受ける必要がありました。

 

計数から電総研だと専門試験としては情報で受けるのが普通だったと思いますが、私は数学を選びました。いわゆる情報という勉強をあまりしてこなかったですし、博士の試験でもどうせ数学は勉強するついでという感じもありました。まあ博士の数学の試験と国家公務員試験の数学では前者の難しさが半端ではないので、あまり関係はなかったかもしれません。

 

合格した後、官庁からお誘いの郵便物とかがたくさん送られてきました(後で知ったことですが通常は官庁に就職するのがほとんどです)。なので、電総研に就職するのにどうしたらよいかとりあえず麻生さんに連絡してみたところ、すぐに来てくださいということで、はじめてつくばに行きました。麻生さんがわざわざ荒川沖駅まで車で迎えに来てくださったのを覚えています。その後大津さんや部長の田村さんとお話しして、失礼ながら「博士落ちたら来ます」みたいなことを言って帰りました。

 

博士の試験は今考えても全然できなかったので、落ちて当然でした。面接でも今のように気の利いたことも言えず、研究者としてなさけない受け答えしかできませんでした。後から後輩に私が受けた問題について質問されたときは、結構すぐに答えが出せたのですが、まあよくあることですね。

 

というわけで、無事に博士は落ち、電総研に無事就職することができました。たぶん麻生さんや甘利先生からもプッシュしてもらえたんだと思うので感謝しかありません。一方、NECに行っていたらどうだろうと思うこともありますが、山西さんも竹内純一さんもアカデミックに移られたので、どっちにころんでもそんなに変わりはなかったかもしれません。

 

なお、その後公務員試験の数学の専門試験の作成に携わることになったのはある意味恩返しができたかなと思います。