電総研に就職したのが 1990 年でちょうどこの訳本が出た年.
ただし,手元の本の奥付を見ると9刷(1993)なので,しばらく経ってから購入したことになります.
もともとAIには興味があったのですが,数理からAIを見ているからか,いわゆるAI研究者という人たちに胡散臭さみたいな感覚を持ってしまいます.
よくあるパターンとして,有名な哲学者の人を冒頭に引用して,○○によれば...みたいなことを枕にして研究の話をしはじめるスタイル.
まあこれはこれでいいのですが,私はどちらかというと計数にいた和田英一先生のように「信念を語らないのが信念」みたいな方に美学を感じるタイプの人間です.
なので,AIの代表格っぽいミンスキーの本は若干敬遠していた節があります.
あと,ミンスキーは著書「パーセプトロン」(これも手元にあります)で第1次ニューロブームを終わらせたというイメージもあり,印象はあまりよいとはいえませんでした.
しかもこの心の社会は,特にストーリーや方向性をもつわけでもなく,科学的な議論があるわけでもなく,思考実験をエッセイ的に(本文にも書かれているように,意図して)ばらばらなものを寄せ集めたという本です.
ということで,これを就職してまもない自分が読んでも得られるものはあまりなかったというのが正直なところ.
ただ,今になってぱらぱら読んでみると,自分の考えに参考となるような話もなくはない気もするので,もしかするとやっと私もこの本を読むくらいのレベルに到達しつつあるということなのかもしれません.
「AI研究者」に対する偏見も昔ほどではなくなってきた気もします.