toddler’s diary

以前は研究にあまり関係ない雑談・2023年4月から本を通じた自分の振り返りやってます

石川九楊「石川九楊の書道入門―石川メソッドで30日基本完全マスター」芸術新聞社 2007

たぶん小学校一年生のころお習字を習っていました。ただし、夏休みかなんかで休みになるのをちゃんと聞いておらず、行ってやっていなかったのでなんか割と早くやめてしまったような気がします。全然違いますが、小学校高学年で入っていた野球部は、逆に学校の夏休み予定表には入っていない日にもちゃんと練習があるというのを聞いていなくて試合の日だけ来たとか言われて結局やめてしまったのは苦い思い出です。子供のころから人の話をちゃんと聞けずに損していることは多いです。

 

さて、その後、高校で選択で書道をやって、一通りのことをやったのが自分にとってのベースになりました。もともと癖字で鉛筆の持ち方も普通とは違うので、そんなに自慢できる字ではないですが、あくまで趣味として筆ペンで字を書いたりしています。

 

趣味なので、技術的なこととかは度外視して楽しめばよいと思っていますが、一応知っておくことは無意味ではないと思うので、この本や図書館で借りた本とかを読んで参考にはしています。正直芸術のことはよくわかりませんが、勉強すればするほど解像度は上がっていく感じがします。

 

例えばワインなんかでもソムリエとかになると解像度が上がっていくんだと思いますが、それで安いワインが飲めなくなるのでは本末転倒な気もします。解像度が上がることのメリットは、どんな安いワインでもいいところを見つけられることだと思いますし、書道や絵画なんかも同じことではないでしょうか。

 

コロナの期間中は、前から覚えたかった般若心経を覚えて、筆ペンで写経したりしてメンタルを保つのに役立ちました。プロから見てどうかはよくわかりませんが、自分なりに字体や全体のバランスが取れれば満足できます。

 

研究というのも似たようなところはあると思います。ただし、趣味ではないのでそこにはある種の客観性や厳しさは求められると思います。自分が趣味的なところと仕事とを区別したいと思うのはおそらくそのあたりが関係しています。ただ、学生さんや若い研究者の人たちの発想の中にある新鮮な部分を感じ取ったり、実応用で必ずしもおしゃれな方法に安易に走らないというのは、対象や手法の理解に対する解像度が高くないといけないという意味ではアプローチとしてはそんなに違わないようにも思います。

 

なお、高校の時に書道の授業は友達とだべる楽しい時間でした。その時に杉浦君という友人ができて、彼は学年一の人脈の広さをもち、パソコンなんかのマニアックな知識を持っていて、私とも親しくしてくれて、就職後にはつくばにも泊まりに来てくれたりしました。彼にとっては無数にいる友人の一人にすぎませんが、自分にとって高校時代の貴重な友人でした。同窓会なんかの企画もたくさんやっていて、尊敬する人間でしたが、持病もあり突然亡くなってしまいました。もうあれから8年以上が経ちますが、いまだに空虚な気持ちになることがあります。