toddler’s diary

以前は研究にあまり関係ない雑談・2023年4月から本を通じた自分の振り返りやってます

高橋健夫「図解コーチ ハンドボール」 成美堂書店 1981

子供の頃は学校から帰るとランドセルを家に投げ込んでそのまま野原を駆け回って遊んでいたような感じだったので、体を動かすことは嫌いではなかったですが、ヤセでチビだったので体力はまったくありませんでした。父親が運動系の人だったのと、やはり子供のころは運動能力イコール序列になっていたこともあり、学校ではずっと運動部に所属していました。

 

とはいえすべて挫折の歴史です。小学校の時は野球部でしたが、球拾いだけの毎日で、さらに、前にも書いたように夏休みの練習予定を知らなくてそのままやめてしまいました。

 

中学校に入って野球よりもボールが大きいバスケを始めましたが、背の低いことを忘れていて、卓球部のカリメロというあだ名の先生から「パンツが走っているみたいだな」みたいに言われました。当然万年補欠で先輩からのしごきとかもきつくて、2年生の途中くらいからなんとなくさぼっているうちにやめてしまいました。

 

高校に入って、バスケにちょっと似ていて背が低くてもなんとななりそうという理由でハンドボール部に入りました。まあここでも万年補欠で試合には1度として出ることはありませんでしたが、小中で途中リタイアしたのが後悔になっていて、2年の夏という早い時期ではありましたが全員引退するまではがんばりました。中学のバスケ部からいっしょだった岡本君とかも私と同じ体力なしで補欠席をいっしょに温めていました。

 

現在集英社女性誌芸能誌の編集長もしている小林亘君は、体力もありイケメンでレギュラーでした。女子にももてもてだったと聞きますが、彼はそういうのは見向きもしない硬派なタイプでした。一方で全くもてない我々ほど、もてたい願望が強かったかもしれません。その後大学に入ってバドミントンサークルに入るわけですが、その辺はまたの機会に。

 

部活の中ではそれぞれ最下層でしたが、あれだけ練習しているのですから、授業とかでバスケとかハンドボールとかあれば、ほかの体力自慢の素人たちに比べればはるかにうまくはなっていました。

 

研究とかも同じで、どうしてもトップレベルの一軍プレーヤーと比較してしまいますが、長い間ずっと勉強し続けているわけですから、普通の専門外の人たちよりははるかに高いレベルにあるわけです。ということで、自分も含めてそれほどでもない研究者の方々ももっと自信をもってもよいとは思います。