toddler’s diary

以前は研究にあまり関係ない雑談・2023年4月から本を通じた自分の振り返りやってます

リスクを考える

世の中議論沸騰気味であるがそのうちいくつか気づいた点について書き散らしてみる.


まず「継続」ということ. 
「忘れない」こと.
これは議論にしても記憶にしても義援金の寄付にしても. とかく人間は忘れやすいので.


それからリスクという考え方.
人間はリスクなしには生きられない.
生きている間,常に死へのリスクとの戦いである.

リスクを避けるにはコスト(時間や労力)がかかる.
あらゆるリスクに対してそれを避けるコストは払えない.
人間の生きる時間や労力はリスクを避けるためだけにあるわけではない.
例えば道路を歩けばかなり高い確率で交通事故に遭うわけだが,それを完全に避けることは不可能だ.


必然的に危険の確率の低いものに対するコストは払わないなどの優先順位がつく.
コストの裏返しとして効用という値で書いてみると,
単純に考えれば「確率 * 効用」のような値を比べてその優先順位をつけ,大きい物から選んでいくのが妥当であろう.
ただし,どこまで選ぶかは最終的には個人の価値観による.
だから個人の行動を完全に客観的に規定することはできない.
(政治などで社会集団に対して20km圏内立ち入り禁止とか食べ物の摂取禁止とか決めているのは集団の多くにおいて合理性があるとみなされる代表値だ)


ここで難しいのは,確率もコストもそんなにはっきりとはわからないことである.
ものによってはリスクがあること自体わからないかもしれない.
正確な情報を集めてできるだけ不確定要素は除去する必要があるが,最終的にもあいまいさは残るだろう.
その場合はある固定された値ではなく,幅を持った分布として「確率 * 効用」のような値を考える必要がある.
その期待値で考えるのか,あるいは例えば最悪から1%の範囲のところで考えるのか.
これもつきつめれば個人の価値観の問題となっていく.
しかしどのような決定をするかは別として,現在のように切迫した状況下ではこのように合理的に考えていく必要がある.


上にも書いたが,確率もコストもほとんどのリスクに対してはきちんとわかっていない.
放射線は「目に見えない」と言われるが,実体が目に見えないだけで,そのリスクについてはまだよくわかっている方だと思う.
放射線を長期に受けたり,核物質を長く蓄積すればどうかという不安があるというが,たぶんそれ以上に動脈硬化や糖尿病といった生活習慣病のリスクについてはその原因因子やそれらの確率などよくわかっていないのだ.
多分に「核」というイメージが先行している気がする.
現在のところ長期も含めて(立ち入り禁止区域の乳児などを除いた)ほとんどの人にとってタバコや交通事故,鬱病による自殺や生活習慣病のリスクよりもずっと小さいレベルの問題だと考えている.


...というのはまあ多くの日本人はよくわかっていると思うのだが,海外での報道などではかなり極論が出ているようなのでそれが心配.

なお,いくつかの補足資料.

日本の自然放射能 http://www.tepco.co.jp/nuclear/hige/qa/thi/bqa/qa-b3-j.html
関東ローム層の存在でもともとの線量が少なく,関西に逃げるとかえって増えるというジョークもある)

世界の放射線量 http://www.taishitsu.or.jp/HBG/ko-shizen-2.html

冷戦時代の核実験により降り注いだプルトニウム http://www.mri-jma.go.jp/Dep/ge/2007Artifi_Radio_report/Chapter4.htm

追記:なお原発政策をどうこうという話はまた全く別の話. なんかそれが混ざった議論が多くて混乱してしまう.